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【広島大仏・国指定重要文化財が眠る歴史ある寺院】
真言宗 紫雲山 極楽寺は第三十二代用明天皇の時代、用命二年(五八七年)今から約一四〇〇年前に聖徳太子により建立されました四六ヶ所の内の寺の一つと伝えられています。その当時はこのお寺の名前を常楽寺と申しまして、ここ安堵の守り神の牛頭天皇社(飽波神社)と共に聖徳太子により建てられました。
(中 略)
江戸時代の極楽寺は、極楽寺の本坊と僧侶の住まいが東之坊、西之坊、南之坊、北之坊、角之坊、奥之坊の六ヶ坊ありました。境内には本尊阿弥陀如来坐像を安置した本堂と庫裏とお経を納めたお堂がありました。
しかし、貞享四年(一六八七年)には東之坊を除く五ヶ坊はすでに絶えているとの記載があります。極楽寺は飽波神社祭りに関係がある神と仏の調和とれた性格を持つお寺でした。そのため、明治の初めに起こった廃仏毀釈また、神仏分離によって始まった神社と寺院の争いにこのお寺も荒れ果てて住職のいない無人のお寺となったりあるいは兼務の住職によって保たれた時期もありましたが現在は
重要文化財 阿弥陀如来坐像はじめ数々の文化遺産を保持しております。昭和六二年より現在までお堂の修復、建て替えなど終え、現在はご覧の通りの境内です。
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